山口勝弘 YAMAGUCHI KATSUHIRO  1928年 東京都

<メッセージ>
絆によって結ばれた作品
詳しく言えば1948年に岡本太郎とはじめて出会ってから、1950年代の前半の7、8年間が、われわれはもっとも濃密な関係にあったと言うべきだろう。
その関係はアヴァンギャルドの闘士とまさに芸術家になろうと試みていた一人の若者との関係にあった。
しかしこの闘士もまた、しかしこの闘士もまた、世の中に認められていく途上にあったからお互いの内面は成熟しない流動的なカオスにあった。
(中略)実験工房の設立までの経過の中に岡本太郎や瀧口修造の存在があり、その後の実験工房の活動について岡本太郎が多大な関心を寄せると同時に絶えず励まし続けていたことは、われわれにとって大きな支えであった。 
(川崎市岡本太郎美術館企画展「万歳七唱 岡本太郎の鬼子たち」展図録より抜粋)


<略歴>
1950年代にインターメディアの先駆けとなる「実験工房」に参加し戦後日本の新たな芸術表現を切り拓く。
また、「フルクサス」のメンバーとの交流により、その活動はパフォーマンスやハプニングといった芸術表現にも及ぶ。
1970年代からビデオを使ったインタラクティブな表現や映像、蛍光灯を使った「ビデオ彫刻」などにより現代のメディアアートといわれる分野の概念を切り拓く。
1990年代、淡路島に芸術村構想を打ち立て、自らのアトリエを移して果敢な芸術活動を続けるとともに、芸術家としてだけでなく、筑波大学芸術学群の総合造形コースで長年にわたり教鞭をとり、多くの芸術家を世に送り出すなど教育者としての一面も持つ。
「岡本太郎とメディアアート 山口勝弘―受け継がれるもの」展は山口勝弘90歳の記念と、山口が岡本太郎にオマージュとして制作したビデオ彫刻「黒い太陽―岡本太郎に捧ぐ」(1996年)が、川崎市岡本太郎美術館に寄贈されたことを契機として開催するものである。
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