岡本太郎 OKAMOTO TARO 1911-1996 神奈川県(川崎市)

岡本太郎と山口勝弘
岡本太郎と山口勝弘の最初の出会いとなるのは1948年、御茶ノ水の文化学院で開かれた「モダンアート夏期講習会」です。
講師として招かれた岡本は37歳、戦後まもなく二科会の会員として≪憂愁≫≪夜≫などの作品を発表する傍ら「日本アヴァンギャルド美術家クラブ」の常任幹事となり、組織的な芸術運動を始めた頃でした。
一方、山口勝弘は日本大学理工学部から法学部に移り法律を学びながらも、芸術への強い関心をよせながら将来を模索する20歳の学生でした。
この講習会には北代省三、福島秀子らも参加しており、講習会後、山口は北代省三の呼びかけで自主的な研究グループを作り、岡本太郎、花田清輝の主宰する「夜の会」や「アヴァンギャルド芸術研究会」などの会合に度々出席することとなります。

尖鋭的な思考を持つ美術家や評論家たちからの刺激を受けて山口らは、自らの研究成果を発表する展覧会を開くことを目的に、グループを「トリダン」(後に「七燿会」)と名付け、北荘画廊でのグループ展を開催します。
岡本は展評で「幸いにも七燿会には二十代の盛り上がる意気がみられて、近来見応えのある展覧会であった。」と好評し、若き芸術家達にエールを送っています。

もう一つ、岡本と山口の更なる絆となるのが、瀧口修造が名付け、日本のインターメディアな芸術活動の先駆けとなる「実験工房」です。
美術、音楽、写真、舞台照明、映像といった若き芸術家が自然発生的に集まり、分野を超えた表現者たちがその手法を一つの作品として集結させる表現は、現代のメディアアートの礎となりました。
岡本は「実験工房」の発表には欠かさず顔をだし、自らが主宰する「現代芸術研究所」が展覧会の後援を行うなど惜しみない支援を行いました。
それは、弟子や門下のような上下の関係としてではなく、若い芸術家の既成の表現に依存しない新鮮な感性を引き立て、自由な精神を広げることでした。
現代のメディアアートという分野を切り拓いた山口勝弘の原点には、岡本太郎という欠くことのできない存在があったのです。
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